うり坊007の本日の独り言

思いつくままに書いた雑記帳です

言葉は生き物

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(写真は本文には関係ありません。名古屋高速道路 高速6号清洲線の庄内川にかかる新名西橋(通称赤とんぼ橋)です。エクストラドーズド橋と呼ばれる構造で、ケーブルは桁を吊っているのではなく、引張力に弱いコンクリートに引張力が発生しないよう圧縮力を与えるものです)

 

 先日、名神高速道路を走っていた時、ある看板を見て驚きました。

 道路脇の看板に山の絵と伊吹山の文字があり、そこにローマ字で「IBUKIYAMA」と書いてあったのです。

 え~っ?伊吹山の読み方はどう考えても「いぶきさん」でしょう。(濃尾平野に住む皆さん、そうですよねえ?)

 まあ、山の呼び方くらいは僕個人的には荻野(「おぎの」「はぎの」)問題に比べたら大した事故にもならないのでいいと思いますが、なるべくなら地元の人の読み方に合わせて欲しいものです。

 

 そういえば、他にも読み方が変だと思うのは、ある専門職内だけで使用している業界用語です。

 昔、僕が県庁に入った当時、周囲の先輩たちが市町村のことは「しちょうそん」と言うのに、市町のことは「しまち」と言っているのに驚きました。

 また、首長のことは「しゅちょう」と言わずに「くびちょう」と言うのです。

 しかし、これらの理由はじきにわかりました。

 行政内部では会話にしょっちゅう「市長」「市町」「主張」という言葉が出てくるので、絶対に聞き間違えないようにこういう言い方をしているようでした。

 

 専門家が、この方が良いと思って変形して使っている使い方は非常に合理的であり、一般人にも広めた方が会話中の誤解がなくなるので良いと当時から思っていました。

 

 また、あまり滑舌の良くない僕としては、発音しやすく言葉が変化してくれるのも大歓迎です。

 新しい(あらたしい⇒あたらしい)(しだらない⇒だらしない)などは非常に発音しやすく有り難い変化です。

 

 しかし、あれはなんでしょう。カロテン。

 僕らは小学校で「カロチン」と習ったものが、今では「カロテン」というらしいです。

 あれは全く変更する合理性が見当たりませんよね。発音もしにくく変化してる。

 

 ああ、懐かしいカロチンに戻して欲しい・・・

Pay it forward

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 昔、イギリスを旅行した時の話。

 当時の僕はビートルズにハマっていて、イギリスを旅行するとなれば、ロンドンのabbey roadへ行くのは当然として、やっぱりリバプールに行かなくちゃ。と、いうことでやってきましたリバプール

 

 僕はMATHEW STREETやPENNY LANEを堪能しながら、結局調子に乗って、ジョン・レノンがよく遊びに行っていたというStrawberry Fieldsまで歩いて行ってしまいました。多分10kmくらいは歩いたのではないかと思います。

 

 しかし、行きは良い良い帰りは怖い。僕は見ず知らずの街で迷ってしまったのです。

足はもう疲れて棒のようだし、雨は降って来たし、困ったなあ。

 あ、バス停に屋根がある。あそこで少し休ませてもらおう。

 

 バスの表示板はCity Centre

 あれに乗ればリバプール駅に帰れるのかなぁ。でも、どうやって乗るんだろうか?

 

 バスを数台見送ってしばらく雨宿りしていると、バス停の後ろの家の玄関から少し太ったおばさんが出てきました。

 そして僕に話しかけます。

 「バスに乗りたいの?」と

 そのおばちゃんはニコニコと優しい笑顔で、そして凄く親切だった。

 おばちゃんは丁寧にバスの乗り方や値段を僕に教えてくれ、最後にこういった。

 「私も昔、日本に旅行に行った時は日本の人たちに親切にしてもらったわ」

 

 親切は世をめぐる。僕も日本に帰ったら、誰かに何かをお返ししなくちゃ、と思ったお話でした。

 

 ちなみに、僕が今までに行った国の中で、イギリスという国がやっぱり一番紳士、淑女が多かったです。

 バスに乗っていて、バス停で新たにおばあちゃんが乗ってくると、座っていた中学生くらいの男の子が当たり前のようにさっとおばあちゃんに席を譲ったし、乗客も降りる時はみんな”Thank you,driver.”と運転手に声をかけて降りて行きました。

 その時は、ここは凄い国だなぁ、と感心しました。

 おかげでイギリスは今でも僕の一番好きな国のうちの一つです。

 

世界の地下鉄

 いつもながら名古屋地下鉄の丸の内駅の乗り換えは地獄ですな。乗り換え距離が長すぎますよね。

 と、言うことで今日は私が今まで乗ったことのある地下鉄の中で、印象に残ったものをご紹介したいと思います。

 

①まずは乗り換えが便利といえば、なんといっても香港地下鉄 !!

 香港の地下鉄は交差する路線は必ず2駅は平行して走り、ホームの対面で別の路線に乗り換えられるように工夫されています。

 例えば、名古屋の東山線名古屋駅から乗って来て、地下鉄環状線名城線)に乗り換える場合、一つ目の駅ではホームの向かいに右回りの電車が止まり、二つ目の駅ではホームの向かいに左回りの電車が止まるといった具合です。

 乗り換え客は階段を上り下りせず、乗り換えができてしまいます。

 これは便利!!

 

②快速が走っていて、せっかちな人には便利なニューヨーク地下鉄 

 ニューヨークの地下鉄はすごいです。ちょっと汚いけど、基本的に複々線になっていて、express とlocalが走っています。形式としては平面に4本走っているところと地下2階にlocal,地下3階がexpressと階を分けているところがあります。

 自分の行き先に最短の時間で行けるので日本の各駅停車の地下鉄に乗っている時のようなストレスを感じなくていいです。

 でも、地下鉄トンネルの壁には駅間だというのにず~っと落書きがしてありました。70年代のニューヨークが荒廃していた時期には不良少年達がトンネルの中を歩いて落書きして歩いた時期があったのかな? 

 

③有事の際には安全な(?)ワシントンD.Cの地下鉄

 有事の際には核シェルターとして使われるという噂のあるワシントンD.Cの地下鉄。

 言われてみれば空間が広めかな?と思えますが、これはあくまでも噂です。

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 因みに、世界最初の地下鉄はどこだか知ってますか?

 答えはロンドンです。1863年開業ですが、地下鉄という割にはところどころ空が見えますので、橋の下を走っているような感覚にさせられる区間があります。(開業当初は蒸気機関車を使っていたため換気のためだと思われます。)

 対して、世界最初に電化路線として開業したのはハンガリーのブタペストです(1896年)。

 両方とも古いのでトンネル断面が小さく、線形も悪いので、必然的に車両は小さく、あまりスピードも出ませんでした。

 

ロンドン地下鉄(どこの駅か忘れましたが、空が見えます)

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ブタペスト地下鉄

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以下おまけ

ウイーン地下鉄               

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 プラハ地下鉄

(個人的には、抱き合っているカップルの方が気になってしょうがない(笑))

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 ウイーン、プラハ、ブタペストに関しては、地下鉄よりも地上の路面電車の方が綺麗な街並みが見えて気持ちいいです。

 

ウイーン路面電車 

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プラハ路面電車 

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ブタペスト路面電車 

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以上!!もうフロ入って寝ます!おやすみなさい(^0^)/

名も無き素敵な指導者

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 昔、私が幼稚園に通っていた頃の話です。

 ある日突然、なんと私の組の先生は私たち園児に対し、宮沢賢治の「アメニモマケズ」を暗唱させはじめたのです。

 こう書くと虐待じみて聞こえますが、いたって平和的に、「さあ、みなさん、歌を歌いますよ」、とでもいう感じのノリで毎日5行くらいづつみんなで暗唱していくのです。

 どうやら先生は来るべき授業参観日に私たちの父兄の前で披露させるつもりらしく、「授業参観日にはお父さん、お母さんをびっくりさせましょうね。お家に帰ってもこの詩を幼稚園で暗唱しているということは両親には黙ってましょうね。」と園児に口止めさせる念の入れようです。

 これは幼稚園児の私としても、みんなで何か大きないたずらを画策しているようで楽しかった事を覚えています。

 幼稚園児にとっては結構長い詩でしたが、毎日毎日みんなで暗唱しているうちに完璧に覚えてしまいました。

 

 そして授業参観日当日、園児の親たちが後ろにずらりと居並ぶ前で先生が授業を始めます。なんの変哲もない普通の授業がしばらく続いた後、先生は宮沢賢治の詩「アメニモマケズ」ついての概要を説明し始めます。そして、先生の合図とともに、園児は一斉に「アメニモマケズ」を暗唱し始めます。

 何も見ないで延々と暗唱する園児たち。途中から、後ろの親たちがざわつきはじめると何か私もいたずらが成功したような感じで非常に嬉しく、また、これだけのことができる自分たちが誇らしかったのを覚えています。

 園児の暗唱が終わり、まだざわついている父兄に対し先生は一言

 先生「子供たちは何も見ていませんよ」

 ある母親A「本当にうちの子かしら?」

     (一同笑い)

 そしてその後、先生は「みなさんのお子さんはこれだけの能力があるのです。自信を持って更に伸ばしてあげて下さい」というような事を言っていました。

 

 あの幼稚園の先生は今から思うと、非常に前向きでちょっぴりいたずら好きなとても素敵な先生だったのだと思います。授業参観を楽しくしようと、また、親達と園児たちに自信を持ってもらおうと、創意工夫をしていたのですね。私自身、ややもすると惰性で日々の生活をこなしていってしまうこの歳になってあの先生の素晴らしさがよくわかるようになりました。私はあの先生に、「自分はこれだけのものが暗記できるんだ」「自分はやればできるんだ」という自信をもらいました。

 

 ただ、当時は子供心にアメニモマケズの結びの「みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、そういうものに私はなりたい」という賢治の気持ちがわかりませんでした。「人には褒められた方がいいじゃん!」と内心無邪気に思っていました。

 しかし、この賢治の気持もようやく最近わかるようになってきました。

 

 人間、生きていくという事だけで大変なことですよね。とりあえず毎日を生きるので精いっぱいの人生を、あれだけ前向きに生きていたあの先生はやっぱり素敵な指導者でした。

 

学校教育 信州vs.三河

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(写真は本文に関係ありません。伊吹山と長良大橋(トラス橋):設計上、各部材には曲げの力はかかりません。全ての部材の軸力(鋼材を軸方向に引っ張ったり圧縮したりする力)のみで構造系を維持しています。)

 

 

 先日、知り合いの人に「同じ愛知県内でも三河の管理教育は尾張よりも厳しい」と聞きました。

 確かに、私は小学校の4年生まで長野県に住んでいたのですが、そこから三河の小学校に転校したときはカルチャーショックを受けました。

 

 長野県では全校集会の時などに校長先生が決まって言ったことは「勉強なんかできなくてもいいから、素直でいい子に育って下さい。」ということです。そういう学校しか行ったことがなかったので、先生というのは皆そういう考えなのだと思っていました。

 事実、長野県では通信簿には数字が書いてありませんでした。「大きな声で挨拶できるようになった ◎」「授業中に手を挙げて発言できるようになった ○」などの評価が書いてありました。クラスの中でも誰が頭がいいとか悪いとかは全く意識したことがありませんでした。

 しかし、小学校5年生の時に東三河の小学校に転校してビックリ!先生があからさまに「ちゃんと勉強するように」と言うのです。通信簿も5段階評定の3とか数字でつくのです。家庭学習もやるやらないは自由でしたが、やったものを毎日学校に提出させて、生徒の今月の提出数を教室の後ろにシールを貼っていって生徒たちを競争させるのです。(私もさすがにビリにはならないように毎月2,3回だけ出していました。)更には小学校の時から塾に通っている友達もいることに驚きました。

 精神的には長野県の方がおっとりしてていい子が多かったような気がします。三河は競争に慣れさせてもらったということは確かに良かったと思いますが、少し押さえつけすぎたせいか、隣の市の中学校では毎年卒業式の日には卒業生がガラスを割って回り、警察が駆けつけるほど荒んでいました。まだ私のいたところは田舎町だったので良かった方でしたが。

 

 さて、どちらがいい、悪いは決めかねます。

 結局、私は中学校になってから徐々に勉強をし始めます。テストの順位を学校の廊下に貼りだされるようになり、競争心というものが芽生えました。私のような怠け者は「勉強なんかできなくてもいいよ」と言われると本当に一生やらなかったと思うので、結果から言うと私は三河に転校して良かったと思っています。

 

 今、私の友人たちは子育ての真っ最中で、私立中学校を受験させるとかいう話題もよく聞きます。

 確かに、私も高校は進学校だったので、友人も皆大学を受験する人ばかりであり、環境的には楽に大学に行けたと思います。進学校でない高校で、周りの友達が全く勉強しない環境の中、一人だけ勉強し続ける、というのはもの凄く大変かもしれませんからね。

 

 そういう悩みは私にはまだまだ先のことでしょうが、今年の年末もまた友人たちの話を聞いて将来の参考にさせてもらいます。

身の周りで感じる社会情勢の変化

 私は現在司法書士をやっております。(個人のお客様が多いので、万が一にも個人が類推されることが無いよう、司法書士業務についてはなるべくブログに書かないようにしています。)

 以前は技術系公務員でしたので、どうしても日々の業務の中で両者の違いを感じてしまいます。

 業務の性質としては、大方の予想通り、技術職は理屈で仕事を押していける事が多く、法律職は人間関係の調整が結構大変なことが多いです。

 

 また、技術職は経済的環境の変化に影響されやすく、対して法律職は社会的、政治的変化に影響されやすいように感じます。

 

 私が昔やっていた橋梁設計で言いますと、支間長40~50mくらいまでは鈑桁(Ⅰ桁)(写真①:名神高速道路)が一般的には適しているのですが、(ただし、曲線がきつい橋については桁全体にねじり力が働くため、たとえ支間長が短くても一般的にはねじり力に強い箱桁(写真②:名高速丸田町JCT)を使います)鈑桁の設計の歴史は経済的環境の変化を強く受けています。

 

(左写真①:2車線を4本の主桁で支えている)      (右写真②:曲線橋)

 

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 敗戦間もない日本では1ドルが360円だったので、鉄を輸入する費用負担が大きかったのに対し、労働者の人件費は今よりも安かったのです。

 そこで、手間がかかってもいいから鉄の量をなんとか減らすという設計をしていたのです。(例としては板厚を薄くし、その代わり座屈しないようにスティフナーを設置するなど)

 その後、円高が進んで来る一方で人件費も高騰してきます。

 そうなってくるとたとえ鉄の量を沢山使ったとしても、人の手間がかからない方が経済的だという状況になってきます。

 そして平成になってから登場したのが少数主桁橋です。(写真③:伊勢湾岸自動車道

  

(写真③:4車線を4本の主桁で支えている)

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  写真①が1車線あたり2本の主桁で支えているのに比べ、写真③は1車線あたり1本の主桁で支えています。

 見た目にもだいぶすっきりしていて、ずいぶん人の手間が減っている事が良く分かると思います。

 わかりにくいかもしれませんが、そのぶん一つ一つの桁は大きくなっています。

 

 設計業務はその時代その時代の経済的環境に合わせて常にベストの構造を追求していると言えます。

 

 それに対して、司法書士業務においては社会的、政治的変化の影響を色濃く受けています。

 先週はG20などの首脳会議が目白押しでしたが、ほとんどの会議においてパリでのテロを受け「資金洗浄防止を強化」「テロ資金を断つ」という声明が盛り込まれています。

 みなさんも最近銀行などでの本人確認が厳しくなったと感じませんか?

 あれは犯罪収益移転防止法という法律に基づくもので、テロ組織などへ資金が流れていかないようにすることを目的としています。

 我々士業が業務を行う時も、お客さんに本人確認をいちいち求めますが、今後もテロが起きる度にだんだん制度が厳しくなっていくのでしょうね。

 

 皆さんもいちいち我々に本人確認をされて不愉快かもしれませんが、国際社会情勢の変化がまわりまわって遠く我々の生活にも影響を与えているということをご理解いただき、何卒ご協力のほどよろしくお願い致します。